STORY

Pizzeria da peppe Napoli sta’ ca'' 神谷町
駒沢の店を辞めた時は店をやるつもりはなかったんだ。
ある日東京タワーを見に行った時に、近くのお店が内装工事をしていた。何ができるのかを聞いたら飲食店だけどまだ決まっていないという答えだった。その時不思議なんだけど頭の中に店のイメージがパッと浮かんだ。だから『僕がやりたい』って言ったんだ。後日、社長と会って話すことになった。でも、まだ日本語もうまく話せなかったし、通訳もいない。だからまた会うことにした。その時に、以前雑誌やテレビに出た時の資料を持って行って、僕はペッペです、いろいろ調べてみてくださいって言ってね。そしたら社長が『君は何をやりたいの?』って聞いてくれた。『ナポリピッツァのピッツェリアをやりたい』って答えたんだ。1週間後、不動産屋さんから連絡が来て『社長が君を気に入ったようだ。よければお店をやらないか?』って言われたんだ。何をどうすればいいか、どんな問題があるか。そして社長に交渉をした。考えられるすべてのことを社長と話した。彼は言ったよ。『君はまだ若いし将来有望だから』ってね。『よろしくお願いします!』で始まった。お店の内装は迷わずクラノデザインの蔵野さんに依頼した。蔵野さんは『良いよ。ペッペはまだ若いし何かあったら助けるから頑張れ!』って応援してくれた。それが、神谷町のお店の始まりなんだ。

Pizzeria da peppe Napoli sta’ ca'' 駒沢
神谷町のお店が順調に動き始めても、駒沢のことを忘れたことはなかった。そんな時、以前勤めていた駒沢のお店のオーナーがお店を売るという話を耳にした。だから連絡して様子を聞いたんだ。僕は買いたいと思ったからそう伝えたよ。でも提示された金額は僕の要望とは合わなかった。彼の提示額は、お店の想定売り上げから計算しても僕には無謀な金額だと思えたからね。これはビジネスだから、あの規模で毎日の売り上げを考えたら、これくらいが妥当な金額だって説明した。でも、オーナーは提示額を下げる気はなかった。3ヶ月後、神谷町に再び来てくれたので、僕の提示金額でどうかって相談したよ。でもオーナーは承諾しなかった。だから税理士さんと蔵野さんに相談したんだ。二人は僕の提示額でも高いて言ってた。でも、僕はその額なら出すつもりだったんだ。駒沢はどうしてもやりたいって思っていたからね。時間が経過して、またオーナーがお店に来た。最初の提示額より下げた額で「これで契約しないか」と。僕は無理だって答えた。次に彼の提示額と僕の提示額の間をとった金額でどうかと聞いてきた。僕は了承できなかった。その頃の僕はビジネス系の映画をよくみていて、ある夜みた映画のワンシーンを思い出したんだ。“一人の男が交渉相手とテーブルに座り、何かの売買なのだろう、お互いに希望額を譲らずジッと黙っている。その時男がテーブルの下から大きなアタッシュケースをドンっと勢いよく出して開けると、その中には多額の現金が。交渉相手はその迫力に圧倒されて希望額より少ない額でOKしてしまう。”僕は良いアイデアが閃いた。そして準備を整えて、手配が出来たその日にオーナーに連絡して広尾で待ち合わせをした。そこで、僕はみた映画とまったく同じ手法を使ったんだ。大きなアタッシュケースに現金を詰めて交渉中にテーブルにドンって出したんだ。もちろん彼の希望金額にはまったく足りてなかったけどね。彼はとても驚いてたよ。結局、僕の提示額を了承してくれて、契約が成立した。まさに作戦勝ち!
そこから内装がスタート、こだわりもあったからいろいろ費用がかかったよ。この時も蔵野さんが『ペッペは頑張り屋だし、信頼してるから』って言ってくれて応援してくれたんだ。蔵野さんのおかげでここまで出来た。それからもう一人、僕をサポートしてくれた日本人の友達がいる。銀行関係で必要なサポートはすべて彼が動いてくれた。たくさんの友達に助けられて今がある。本当に感謝しているよ。彼らはビジネスパートナーとして助けてくれたんじゃない。僕を信頼して、友達として力を貸してくれたんだ。

僕にとってスタッフは家族なんだ
スタッフは僕にとってファミリー。スタッフだけじゃなくて、スタッフの家族も含めて僕は力になりたい。家の遠いスタッフには近くに住んでもらうために、僕の知り合いの不動産屋さんに交渉したよ。遠いと、朝早く夜遅ければ大変だからね。そういうことも僕にとっては大切なんだ。それから、スタッフにはみんな仲良くしてもらいたい。なぜなら、その雰囲気がお店でお客さんに伝わるからね。
仕事に関しては厳しいよ。それは当たり前なことだと思ってる。しっかりやらないとお客さんに迷惑がかかるからね。スタッフには僕の思いを理解してもらいたい。お客さんが一番大事だということをね。お客さんには心から楽しんでもらいたいからね。

日本人シェフから学んだこと
イタリア人と日本人の味の好みは違う。イタリア人好みの味にしたら、日本人にとってはしょっぱかったり重かったり、アルデンテすぎたりね。日本のお客さんの好みを理解しないとね。それはスパッカナポリ時代に鈴木シェフに教わったんだ。イタリア修行時代にイタリア人から多くを学んだ彼は、僕にとても良くしてくれた。いろいろ教えてくれて、可愛がってくれて、助けてくれたよ。今の僕を繊細だと言ってくれるなら、それはスパッカナポリの鈴木さんのおかげだね。日本に来たばかりの時は、全然違った。言いづらいけど怒ってばかりいたしね。でもそんな僕に自分のすべきことや、立ち位置とは何かを鈴木さんが教えてくれた。我慢も大事だってことも覚えた。スパッカナポリを辞めてビコッカに入ったのは、イチからビジネスを覚えたかったから。色々学ばせてもらったおかげで今があるんだ。

どうして塩が余ってるんだ?
12歳から毎日仕事してたよ。ピッツァ職人を目指してた。
叔父さんがピッツェリアをやっていて、彼を見ていておもしろいなーって感じてたんだ。ショーみたいでね。
ピッツァ生地に触れたくてしかたなかった。でも触ると怒られる。「生地は俺の子どものようなもんだ。勝手に触るな!」ってね。16歳の時に叔父さんが体調を崩して病院に行かなければならなくて、僕はチャンスだ!って思った。毎日叔父さんの仕事を見ていたからね、できると思ったんだ。叔父さんに内緒で、イーストと粉と塩とお水を準備した。お水入れて、粉を半分入れてイースト入れて、こねてこねていい感じに出来たと思った。でも終わってから初めに準備した塩が余ってたんだよね。あれ?塩入れなかったか?って(笑)いや、入れたはずなんだけどな…って少し悩んだ。
叔父さんが病院から戻ってきて怒られた。手を出すな!って。いや、もう出来ているから、今夜店で出してくれって言ったんだけど、そう言いながら、塩入れたかどうか少し自信がなくて。叔父さんと準備を終えて家に帰る時に「塩入れたかどうか…」って正直に伝えたんだ。そしたらすごい剣幕で怒鳴られた。そんなに怒るとは思わなかったっていうくらいにね。未だに忘れられない(笑)それが僕のピッツァイオーロの始まりだね。
徴兵制度から戻った時には本気でプロになりたいと思っていた。そこから叔父さんにみっちり教わった。だから、今でも彼(トニーノ叔父さん)と一緒にピッツァ作る時は緊張するよ。そこにいるだけで緊張する。ナポリの田舎で僕のふるさと、アフラゴーラの近くにある『No. 1』という名前のお店だよ。

ピッツェリアは気軽に来れる楽しいお店であって欲しい
水だけでも良いよ。もちろん子どもOK。子どもがうるさい?当たり前だよ、子どもだもん。それが僕のお店。みんなに楽しんで欲しいんだ。リストランテじゃなくピッツェリアだからね。
料理は大盛りで、味はしっかりしてるけど食べても重くならないように気をつけている。店は活気があって楽しくて、気さくにスタッフに話しかけてもらえる雰囲気がいいね。近所の人にもたくさん来てもらいたいし、大勢の人と仲良くなりたい。ビコッカ時代に感じていたんだけど、駒沢のお客さんはわがままなんだ(笑)でも僕はそういうお客さんが好き。正直だからとても勉強になるんだよ。お客さんによっては年配の方もいるから、茹で時間を調整したりもするよ。僕が目の届く範囲でね。そういう気遣いはスタッフにも感じ取ってもらいたい。キッチンでもテーブルに目を配る余裕を持たないといけないよね。もちろん、マネージャーの采配も重要だよ。
今後は店舗数を増やしていく。すべての店舗で同じ味を提供できるように、40~45歳までには10店舗を目指して頑張るよ。